”さいあく”ってなんだろう?

もう人生どんぞこだ。やれることはない。
日々の生活が苦しい。仕事がつらい。稼げない。
いろんな困難が待ち受けているのが人生。
SHINTARO KAN 2021.12.01
誰でも

仮に、すべての苦しみがなく、順調のみの人生だとしたらどうだろう。今の苦しさは別として、変化の無さにつまらなさから、結局おなじように苦しみだすことだろう。

人生最悪だ!と言えたらなんとかなる

本当にピンチを迎えるようなとき、頭の中でふと思い浮かぶこの言葉

「人生最悪だ!」

でも、そう言えるのはなぜだろう?「最悪」という時点で、何かと比較して「それよりも悪い」という評価ができている。つまり、自分自身で状況を客観的に把握しようとしている。

加えて、最「悪」の通り、なにが悪いのか、認識できている。(もちろん、それを正面きって言葉にしたくないのはやまやまだけど…)

だからこそ、「最悪だ」と言えたその時が底。それから上がるためにやれることをするしかない。

ケーブルを開ける穴は先に通しておこう

ケーブルを開ける穴は先に通しておこう

人生の時間は有限。能力は持っているものだけ。状況はそれに従うしかない。

運動会の日に大雨となり、外での開催が困難になったとき、雨を吹き飛ばすという考えは現実的ではないだろう。そんなことわかってる。ハレてほしいけど、どうみてもこの雨がすぐに止みそうもない。そう考えたら、次にやることをどうするか。心が騒ぎ出す。

心臓がどきどきする。いい案が浮かばない。どれも望ましいものじゃない…葛藤が続く。

こうした流れは、いつだって起こる。どこだって起こる。どんな人でも起こる。起こるものとして、人生に立ち向かうことで、焦りはなくなる。

そうだ。こんな出来事は、わたしという人間ひとりでは、どうしようもないことなのだ。どうしようもないから、それを突き詰めてもしょうがないのだ。じゃあ、なにしたら、この落ち込んだ気持ちが少しは楽になるだろうか。

雨が降ったら嘆くのではなく、雨が降ることで楽しめることを考えよう。

外にいけないのなら、中でできることをやってみよう。

想わぬ時間ができたなら、普段できないことをやってみよう。

雨が降ることで、あの人との競争に負けたという事実が起こらなかったかもしれない。

変えられない事実をそのまま受け入れ、できることだけの最善を尽くす。人間にできることはそれしかないのだ。

諦めることで諦めない人生を

かつて、雨がふると靴の中が濡れて、服が濡れて、最悪な気持ちになった。1日が嫌な気分でずっといた。でも、この雨をどうこうすることもできないのだから、受け入れて生きていくしかない。

ゴアテックスという素材に出会ってから、靴を履いても濡れない。服もべちゃべちゃにならない。それ以来、雨は怖くなくなった。気分を害するものではなくなった。いままでなんでこんなただ降りしきる雨にイライラしてたんだろうと思った。

人生いきづらさを感じている人が多いと想う。それは人間が正面から壁にぶつかっているから。でも、その壁は国境閉鎖するほど長く横に伸びているとは限らない。幅がなく、さっとよければ前に勧めたりすることがほとんどだ。

自分の凝り固まった考え方が、自らをしばり、苦しめる。いっそ、変えられない事実をうけれてみたらどうだろう。「変えられない」ということで、当初の考えや予定を諦めなきゃいけないかもしれない。でも、それで人生が前に進んでいくなら、進んだ後はもう気にならない。

たかが壁、されど壁で、人生そのものを自ら諦める人生を歩んでしまうのは、もったいないだろう。人生は有限だが、残された時間でやれることはある。たかが雨、されど雨。見方を替えるだけで、敵にも味方にもなる。

悩みってなんだろうね。こうしてみると、自分自身の固執や固まった価値観が自分で自分を傷つけているのかもしれないね。

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