機嫌が悪い人がいる
1,嫌なことをされるとイヤになる
昔から、周りの空気を敏感に察知し、あまりいい雰囲気でないことや、自分がその場において邪魔やいないほうがいいだろうということを感じ取りやすい性格であった。今になってみればそれが言語化され、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)と定義されるようになったわけだが、周りに発言しなくても、耳や様子から十分相手の状況は汲み取れるものだ。
そんなわけで、相手がイライラしていたり、起こっていたり、ムカついていたりする様子は誰よりもわかるので、それが自分自身を嫌な気分にさせていた。
また、このもやもやした不安感はいったいなんだろう。
自分がなにかしたわけでもないのに。
周りのマイナスの感情が自分に憑依する。
できるだけ取り作ろうとすると、何もできない
その場がマイナスの雰囲気で支配されていく。
例えば、仕事で言えば、何か頼み事をする相手や、お届け物をしたりする際、「こちらから何かを提供する・お願いする」の返しとして「不機嫌」が返ってくると、たいてい嫌な気分になる。
なんであの人、嫌な感じで返してくるんだろう。
いつまでも、いつまでも、おとなになっても、それは変わらない。
2,相手の感情は動かせない
対処できる方法や、マイナスをプラスに変える方法をいろいろ試してはみたけれど、どれも決定的に改善するようなものはない。考えれば考えるほど「嫌な感情が目立って」くるのだ。
でも、こうした長年の受け続けたボディーブローのような心への傷は、小さいながら蓄積されて、そして確実に「対人恐怖」に近いかたちにもなる。
それでも、表にはでなければならないことは仕事でも、責任ある立場になれば仕方のないこと。そうやって「自分をごまかし続けた」
でもね、こちらが話をしているときに、相手が寝てしまっていたり、こちらが丁寧に話ているのに、棘がある言葉で返されたり、それって、もうこちらではどうしようもない。
相手にとっては興味がないのかもしれないし、何か自分と合う前に嫌なことがあったのかもしれない。自分が及ばない範囲によって、今、目の前で起きていることを深く考えても考えても、それはどうしようもないことなのだ。
「相手の感情は動かせない」
そう思うことで、ヤらなければいけない仕事や作業と、相手の感情とを切り分けることにした。それしか、どうみてもこちら否がないのに、一方的に負の感情を負うのはあまりに理不尽だ。左右されることこそ、自分が損になる。

境目が曖昧なほうが、争いがおきる
変わらないものと考えたとき、相手と自分との線引をした。目の前に線がひかれ、自分と相手との間には「境界」が存在する。そして、起こったり喚き散らしたりする相手は、こちらでは対処しようがないもの。言葉もうまく伝わらない相手、つまり、赤ちゃんが泣いているのと同じだ、と考えるようにした。
泣く子はこちらから観察し、欲しいことを察して、対処するしかない。対処したって、機嫌が悪くて泣き続けることだってある。それはしょうがないことなのだ。
3,世の中、子どもみたいな大人ばかりだ
嫌なことをされたら、嫌なことで返す。反対されたら反対し返す。そんな応酬合戦みたいなことをやっている大人が実に多い。加えて、当事者同士だけでなく、それを他の人と対峙したときに、感情まで引きずって、新たな言葉や態度の刃を向けてくる人もいる。なんて負の感情ばかりがこの世の中に溢れているんだろうと思った。
ストレスを抱えているのかもしれない。不安がたくさんあるのかもしれない。ただ、それを他人にぶつけてはいけない。関係ない人まで不幸や不安に陥れてはいけない。やりやすい相手を罵声したり威嚇することで、ウサを晴らしてはいけない。
コロナ禍で不安が先行する世の中になったかもしれない。そのせいか、ちょっと街中に人々が出てくるようになったら、やっぱり不安定な人がおおい印象を受ける。
大声を張り上げる。
通り際に罵声や悪口を言う
肩や荷物がぶつかる
幅寄せしてくる
電車の座席をわざを足を広げて座れないようにする。
みんな、駄々をこねてるこどもみたいだ。
世の中のすべてをよくすることはできない。ただ、少なくとも「誰かに伝播させない」ことはできる。今向かい合っている人を笑顔にすることはできる。関わっている人が負の感情を抱かないように、今日も印象がよく、元気で、また会いたいと思ってもらえる人になろう。
ふと思ったとき「あの人印象良かったな」というのは、もしかしたら「何かが優れている」ことよりも「普段からマイナスがない」ことだけで、実現するのかもしれない。
言葉は、人を魅了し、そして、人を傷つける。
「ありがとう」「おかげさまで」「たすかった」
相手を気遣う言葉に、刃物は存在しない。
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